日別アーカイブ: 2010 年 10 月 14 日

御恩報謝

終日福井市内の報恩講廻り。最初のY家。奥様とは花友達。何種類も育てておられて持ってかえって頂戴と今までも何鉢もいただいていた。いただくばかりでお返しが出来なかったのだが、先年、時計草を挿し木で何鉢か増やした。それを一鉢差し上げてホンのお返しの一つも出来たかなくらいに思っていたら、まもなく自宅の時計草を枯らしてしまった。Yさん、上手に育てておられてすでにもう挿し木で鉢を増やしておられた。その年の報恩講のお勤めの折、またもやいただいて帰った。自分ではこの時計草は本家帰りしたんだ位に最初はおもっていたのだが、よく考えてみればお返ししたつもりが結局またいただいてばっかりの自分であることに気づいた。

まるで阿弥陀様と私との関係のようだなと心の中で微笑んだことを思い出した。いただきっぱなし。それでも恩に着せることなく、素直に有難うございますと受け取ってくれることが嬉しいとは阿弥陀様のお心。受けたご恩はお返しするものじゃない、また返せるものでもない。素直に有難くいただくばかり。その上で、私に出来ることは何かと一人一人の工夫が御恩報謝。だから向こうは、し足りないとは仰らない、そしてこちらはどんだけしてもそのことを誇らない、御恩報謝だから。 などということを味わうご縁をいただいた。

 

時計草

最後に勤めたおそばやさんのK家。父上を先般見送られた。当主となったKさん(従業員も家族も彼のことをアンちゃんと呼ぶので時々自分もそう呼ぶ)、来年の日曜講座に必ず来て下さいよと満中陰法要の際お願いしてあった。そのアンちゃんの口から、来年の日曜講座友達を二人誘ってあるけど、千福寺門徒でなくてもいいかとおっしゃるので、大いに歓迎しますよと言っておいた。教団に勢いがあるときは、僧侶や寺族以上にご門徒さん自身がこんな形で誘いあってお念仏の仲間が増えたんだろうなと思う。教化活動は坊さんだけの仕事と、分業化・専門化がすすんでかえって勢いがなくなってしまった歴史の皮肉であろうか。

カテゴリー: JazzBose空言戯言日記 | コメントする