箱根駅伝  続き

産経新聞のコラムに、箱根駅伝の歴史に触れた文章があった。石川啄木を世に紹介した当時読売新聞の記者だった、土岐善麿という人物が日本で初めて東海道駅伝なるものを企画して大成功を修めたところから、日本の駅伝がはじまったのだそうだ。

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【産経抄】1月4日

「何か持っていると言われ続けてきました。今日何を持っているかを確信しました…それは仲間です」。今年から日本ハムでプレーする斉藤祐樹選手が昨年11月、東京六大学で早大の優勝が決まった後に語った言葉だ。

▼そのときは、なんだか優等生すぎるような気がしたものだ。昨日テレビで箱根駅伝を観戦していて、やはり「名言」だと思い直した。前の走者の汗が染みこんだ、襷(たすき)を手渡しでつなぐ。これほど「仲間」の存在が大きい競技もないだろう。

▼実力の突出した選手がいても、誰かがブレーキとなればチームは勝てない。逆にミスがあっても、他の選手のがんばりで挽回も可能だ。レースに出られない部員は、くやしさを隠してサポートに徹する。ゴール近くで、必死の形相を浮かべる選手たちは、仲間の声援だけを頼りに走っているように見えた。

▼ところで箱根駅伝のルーツをたどると、1917(大正6)年に京都と東京の間で行われた「東海道駅伝」に行き着く。発案者は、主催した読売新聞の当時の社会部長で、歌人の土岐善麿(ときぜんまろ)だった。「駅伝」の名付け親でもある。もとは宿場と宿場の間を馬や馬車でつなぐ中国古代の制度のことだ。

▼ただし大赤字だったらしい。責任を取って辞職した土岐は、翌年朝日新聞に移る。日中戦争の最中には、反戦歌を発表して問題になった。戦後はローマ字運動から日中文化交流まで、94歳の天寿を全うするまでの活動は幅広い。

▼同時期に歌壇にデビューした石川啄木との友情も有名だ。啄木の葬儀は、善麿の生家の寺で営まれた。しぶる新潮社を説得して、『啄木全集』を刊行させたのも善麿だ。啄木の歌が今の世に伝わるのは「仲間」のおかげだった。

 

ついでにこの土岐善麿 なる人物について調べたら、浄土真宗のお坊さんでもあった。(東本願寺派)

いたんですね、こんなスケールの大きい浄土真宗のお坊さんが。

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