日曜学校の日。日曜学校は住職である自分が法務のため坊守に任せっぱなしのことが多いのだが、珍しく今日は日曜日にもかかわらず空いていた。坊守から今日は日曜学校ですよ!と釘を刺されていた。
二月は涅槃会(ねはんえ)の月。お釈迦さまのお涅槃について、努めてわかりやすくお話した。(つもり)
人類は3種類の偉大な人物の死を頂いているのであるとかつて聞いたことがある。
1、ソクラテスの死 悪法もまた法なり、と不当な裁判であってもその結果を引き受けて、渡された毒杯を飲み干して死刑に処せられた。
2、キリストの死 神に背いた人類の罪(原罪)を人類に代わって引き受け、ゴルゴダの丘で十字架に架けられ処刑された。
3、仏陀の死 クシナガラの沙羅双樹の林で、仏弟子はもちろん、獣・鳥・虫そしてサーラの木にまでその死を悼まれつつ、静かに80年の生涯を終えられた。ただし煩悩の苦悩を超えられた仏陀には死はない。あらゆるいのちとともにある自己のいのちを悟られた方には、すでに死はない。なぜならそのいのちはあらゆるいのちと共にあるいのちだからである。
「私はなすべきことはすべてなし終え、話すべきことは全て話し尽くした。阿難よ、諸行は無常である。怠ることなく努めるがよい」との最後の説法ののち、静かにその生涯を終えて逝かれた。
お釈迦さまのご臨終は実に穏やかなものであった。
サーラの樹と日本の夏椿が混同されていることが多いようだ。
サーラ樹
夏椿
ちなみに、日本で亡くなられたかたの布団の向きを北枕にするのは、釈尊のお涅槃(ご入滅)の姿に仏教徒としてならうからである。
住職のお話の後は、さて今から定番「ハンカチ落とし」のゲーム。子供たちは元気です。