日別アーカイブ: 2011 年 4 月 1 日

M家葬儀

午前10時、M家葬儀。昨晩の通夜もそうだったが、ご自宅で葬儀をされる場合、近所の方の参列とまたお見送りがあるのはこころ温まるものがある。出棺の際ご近所のお年寄りが手を合わせて車を見送って下さる様子に、事情が許せばの場合ではあるが、再び自宅での葬儀が見直されてもいいのではないかと思う。

ただ私事になるが、久しぶりのご自宅での葬儀で痛い思いをした。身長が人並み以上にあるため、まず普通のお宅のお座敷の鴨居では頭がつかえるのである。しつらえられた葬儀壇と導師の席の間に鴨居があり、二間(ふたま)続きの座敷の鴨居に導師焼香の際、かなりつよく頭をぶつけてしまった。もちろんあからさまに笑う人などいないのだが、「お気の毒に、痛そう~」という思いと何かしらこっけいなものを見たというような複雑な空気を感じるのは自分のひがみ根性からか。

午後、そのM家の皆さんが納骨に来られた。お揃いのところで写真をお撮りする。

水上家

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愛別離苦(あいべつりく) お浄土があるということ(はらから90号)

この三月の彼岸期間中、東京築地本願寺の彼岸会に出講するご縁をいただいた。日曜日の夜(三月二十日)、講師部屋で大河ドラマを見ていた。まさに越前北の庄城落城の編である。お市の方と柴田勝家の悲話については福井の人なら皆さん知っている。三姉妹との別れの場面では泣けて仕方がなかった。テレビドラマなんぞでここまで泣いたことはかつてない。何故だ?と自問する。

お江が母のお市の方に「母上、私が死ねばまた母上とお会いできますか」と問う。母は静かに縦に首を振った。「ではその 日を楽しみに私は生きて参ります」とこの生木を割くような別離を引き受けるシーン。脚色家の筆になるものであるとはいえ、重く強くしかし温かく自分の胸を打った。

それにしても何故と再度自問する。その理由に思い至るのに時間はかからなかった。

ちょうどその日昼間に見た、被災後まもなく撮影された映像がその原因だった。小学生のお嬢さんが、「お母さんが流されたよう、お母さんが流されたよう、お母さ~ん、お母さ~ん」と潮の引いた海に向かって声をあげて泣いているシーンと落城する北の庄に向かい泣き叫ぶ三姉妹の姿がぴったりオーバーラップしたからだった。

歴史に刻まれ、人の記憶に語り継がれる悲話もあろう。しかしそうではない、そして圧倒的に大多数の別離の涙。このたびの東北、関東大震災で幾十万の別離の涙が流され続けている。その悲しみ苦悩に接する者もわが身のそして人間の無力感に打ちひしがれながら同じく涙する。当事者の張り裂けんばかりの悲しみのせめて何百分の一でも分かち合えたらとの思いからか。

ただやはりこの悲しみは他者にも伝えがたいものなのだろう。あなたのその悲しみはよくわかりますなどとは口が裂けても言えるものではない。

伝えがたいその悲しみを静かに覩見(とけん=じっと注視すること)された阿弥陀様の悲しみがお浄土となって実現された。

仏説無量寿経に、法蔵菩薩が師匠仏であられる世自在王仏から衆生の苦悩を救い遂げることの出来る仏になるために二百一十億といわれる諸仏国土・人天界、すなわち生きとし生けるものの世界をつぶさに見せていただかれたとある。お正信偈にはこの場面を《覩見諸仏浄土因》と示される。全てのいのちのありようをじっと注視されるその眼差しの中に、私達の全てが見抜かれている。私達の苦悩も悲しみも知り抜いていて下さる。

その苦悩と悲しみに、我は寄り添い遂げる仏となる、そして生きとし生けるものの真実の親となり、全てのいのちが倶(とも)に会うことの出来る世界を建立する、これが阿弥陀様の根本の願いであった。

悲しみのあまり吐く言葉も見つからず、またこの耐え難き別離の悲しみに後を追おうとまで思いつめる心をこの方だけは静かに受け止めて下さっている。

お浄土も阿弥陀様も人間の心にはすんなり受け入れ難いものである。しかしたとえ、今の世に受け入れられがたく、何をたわごとを!と退けられようと、私たちは阿弥陀様がいらっしゃいますよ、また会える世界があるんですよ、お浄土があってよかったですねと伝え続けねばならない。それが今お浄土の存在に救われた者の御恩報謝である。(住職)

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