K家一周忌

午前中、Tるき蕎麦順化店、K家の一周忌。仏間に入りきれないほどのたくさんのお参り。となりの居間とのしきりを取り外しての法事である。

一周忌にこうしてたくさんの方のご参列があるということは個人のお人柄によるところも勿論あるが、同時に施主さん始めご家族の周到な準備をいとわない、さらにいうなら今までのご縁を今後も大切にしてゆきたいという姿勢のあらわれでもあろうとうかがえる。

近年、こうした親戚をはじめとする縁者とのかかわりをなるべくせずに済まそうという傾向があるように思えてならない。確かに人との関わりは煩わしいという面はあるには違いないが、それをご縁、あるいは絆と受け止めるか、煩わしいしがらみと受け止めるか?

このたびの震災を通して、絆ということがいわれるようになった。いまさらながらではあるが、人は一人で生きて来たわけではないし、また今からもそうだ。都合のいいときだけつまみ食いをするように他人様(よそさま)の助力をあてにし、普段のご縁を煩わしいものとして絶とうとする虫のいいことは通用しまい。

極論するなら、生きるとは煩わしかろうとも人との交わりの中でしか人は生きられないことを自覚しその煩わしさをも引き受ける覚語をすることではなかったか。

とまあこんなことを思いながら、しかし若いときには人との関係は煩わしいものとしか受け止められなかったよなと自分を振り返って思うことしきり。

Y寿司に移動してのお斎も呼ばれる。施主の、「数日前お墓参りをかねて墓地の清掃(よそのお墓の草刈まで)した後、亡き父とゆっくり対話して来ました」との挨拶に心を打たれた。先日筑波からスイカをお寺に送って下さった妹さんにそのお礼を申し上げるのを忘れてご無礼してしまった。(お酒をたくさん呼ばれたせいか)

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