日別アーカイブ: 2011 年 8 月 5 日

大悲無倦常照我

昨日の福井県原爆犠牲者追悼法要に関して取材に来ていた福井新聞の記事について納得いかないので新聞社に電話で申し入れをする。

こうした法要を一括りに、「慰霊」とか「冥福を祈る」などの常套句で記事にされると、少なくとも浄土真宗の教えを頂く者として見過ごすわけにはいかない場合もある。

率直にいって、一般の方々の「慰霊」「冥福を祈る」ということも「追悼法要」も意識の上ではそんなに違いはないと思われるが、少なくとも「祈りなき宗教」とすらいわれることもある浄土真宗からするなら「礼拝」の姿は祈りでも祈願でもない、どこまでも仏さまをお讃えする姿以外の何者でもない。寺に足を運ばず、世間に流布する情報だけで仏教や宗教のあらましを理解しようとしている、あるいは理解したつもりになっている圧倒的多数の人たちにとって、マスコミの流すこうした常套句が如何に仏教を浄土真宗をかえって誤解せしめていることについてしばらく新聞社の担当の方とお話した。マスコミはお浄土の表現など使わず天国一色である。担当の記者氏は誠実にこちらの意見に耳を傾けて下さった。

夕刻、M家の13回忌法要。残された奥様は、今は廃業されたが女将として老舗旅館を切り盛りされた才女である。今は自宅に何鉢もの山野草を育てておられる。仏間の床の間に掛けられたお軸がこれ。

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このお正信偈のお言葉を味わいながらの法話をさせていただいた。大切に仰ぐべきは、ころころ代わる人間の心ではなく、無倦(むけん)の如来様のお心。あまり自分の心に誠実にいきるなどという、綺麗な言葉にごまかされないようにご用心ご用心。

そういえばこの軸は、以前、旅館の仏間にかけてあったもので、これを見て自分が是非Mさんしたためてもらってお寺にも残しておこうとお願いしてかいて頂いたものがある。同時にもう一幅「雪月花」もかいて頂いた。

カテゴリー: JazzBose空言戯言日記 | コメントする