日曜講座

日曜講座の例会日。お勤めの練習は今回と来月とで行譜(ぎょうふ)を行う。本願寺派では一応、日常の勤行は正信偈草譜ときめられている。本山でも別院でもそして末寺さらにはご門徒のお宅でも、日常勤行としては正信偈草譜。では行譜はいつ勤めるのかというと、ご家庭ではたとえば毎月の親鸞聖人のご命日(16日)や亡くなられたご家族のご命日などに用いられる。それと福井ではお通夜のお勤めは行譜で勤められることが殆どである。

お勤めの練習をしながら思ったことを皆さんにお話した。これだけ情報が手に入りやすい時代であり、お勤めもCDやカセットテープで販売されているが、どれだけ繰り返しきいて練習して正確に覚えたつもりでも細かいチェックをしてくれる人を通さないと我流にになってしまいますよと。

多分同じことは、茶道や華道でもいえるに違いない。映像つきの(ビデオやDVD)解説はあるだろうが、それだけでマスターできると思うのはナンセンス。さらにいうなら仏事作法や宗教そのものも宗教書や解説書でわかろうというのも同じ過ちを犯すことになる。

若いころ先生に言われた言葉を思い出す。ほんの一握りの本物の天才は独学でいいだろう。師につくとかえってその天賦の才能が小さなスケールに納められてしまう場合もあるだろう。しかし我々のような凡人は師につかないと我流や思い込みの独りよがりに陥るのが関の山だと。

禅家ではこれを野狐禅と称して一番恐れるという。

マニュアルや手引書、解説書の類を否定するのでは決してないが、それらを読むことでわかったつもりになることは避けねばなるまい。やはり自らの足を運んでその場に身を置くにしくはなしということか。

茶話会のあと、丸岡町W家の一周忌に向かう。

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