華の会

午前中、鯖江T家の報恩講。お仏壇の過去帳に目をやると、来年が7回忌にあたる。

午後、婦人会「華の会」の例会。お勤めの後、しばらく法話。

親鸞聖人の乗信房へのお手紙を引用しながら、東日本大震災・そして台風12号による紀伊半島の水害の被災者の方々のこと、また本願寺総長を勤められ、阪神淡路大震災のとき、お母様・奥様・そしてお嬢様を亡くされた豊原大成師の言葉を紹介する。

「先の阪神大震災で三人の肉親を失われた豊原大成師(当時本願寺派総長)は、

「諸行無常はいわば建前、涙こそ本音。私は今もこの建前の無常と本音の涙との間を行きつ戻りつしています」と率直に語られていた。そして「しかし無常という教えがなかったら、いつまでも涙からのがれることができなかった」 (西原祐治先生のブログ『仏教を楽しむ』より転載)

親鸞聖人は書かれる。「ただし、生死無常のことわり、くわしく如来のときおかせおわしましてそうろううえは、おどろきおぼしめすべからずそうろう。」一読すると冷淡にすら聞こえかねない言葉であるが、生きるということの厳粛さをずばりお示しくださったのだ。

仏教は因果を説く。そして厄介なのはその因果が自分の思うとおりには展開しないことだ。あんないい人が何であんな亡くなり方をしなければならないのか、あんな嫌われ者がなんでのうのうと・・・・。などとあまりに因果律を単純化して理解しようとすると結局、「神も仏もあるものか」という信仰対象に裏切られたという苦い思いだけが残ることとなりかねない。

縁起といい、因果といいそうそう単純なものではない。そもそも善因・悪因というその善悪の基準そのものが殆どの場合、自己の都合できめられていはしないか。

親鸞聖人の「ただし、生死無常のことわり、くわしく如来のときおかせおわしましてそうろううえは、おどろきおぼしめすべからずそうろう」を噛みしめて味わう必要があると自戒をこめつつ思うことである。

 

茶話会。来月の例会のお楽しみについて話が盛り上がっていた。

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