少欲知足

そこには、確かに30年いやもっと昔、そう50年前の時間が流れていた。

製造販売の店構えなどではなく、売り物の煎餅を入れたガラスケースがなければ普通の家の土間。その土間の一角で親父さんが煎餅を焼き、奥さんがそれを冷まして袋詰めにする。

ここは越前市味真野のとあるお煎餅屋。必要にかられて、以前一度購入したことのあるこの店を直接訪ねてまとまった数のお煎餅を焼いてもらうために今日訪れた。

なんだ、この不思議な懐かしさは、と連れ合いと目配せする。菓子職人の親父さんはもくもくとただもくもくと煎餅を焼く。かといって無愛想なわけでは決してない。イントネーションも福井弁ではない、標準語に近い丁寧な受け答え。

注文の相談に応対してくれるのは奥さん。商談の合間に目の前で焼いたばかりの煎餅をご馳走になる。うーん、実に素朴なそして自然な甘み。

こちらの注文の合計額を頭の中でざっと暗算。正直言ってそんな金額でいいのだろうかと思いたくなるほどの金額である。箱詰め、包装、熨斗すべて込みでいくらですねと奥さんがこちらの思いを受け止めてくれた上での商談成立。

親父さんに写真を撮らせて下さいとお願いする。「ろくに髭もそっていませんが、こんなんでよかったらどうぞ」と煎餅を焼く手を休めることなく許可をくれた。

カメラを持参しなかったことを少しばかり悔やんだ。やむを得ない、IPHONEの出番だ。

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冒頭、この空間を満たしている時間は「30年前いや50年前」と書いた。決して誇張ではない。穏やかで暖かくて善意に満ちて誠実で、そしてこの場に来るものを誰も拒まないそんな不思議な時間と空間。

50年前と書いたのは、高度成長期に突入する前の日本のここかしこにそんな場所があり、そんな穏やかな生き方をする人がまだいた、そんな記憶がこうか書かせたのだ。

少欲知足  ふと無量寿経の経典の言葉が思い浮かんだ。帰りの車中、ポツリと家人がつぶやいた。

「あんな方がいらっしゃるというだけで、福井人はいいなと思える」と。うん、同感。

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