親鸞聖人750回 大遠忌法要に臨んで

御門主様は本山の法要がご満座を迎えた一月十六日「あらたな始まり」と題する御消息(お手紙)を発布された。
「本願念仏のご法義は、時代が変わり、社会が変わっても、変わることはありません。しかし、そのご法義が活きてはたらく場である現実の社会は、地域によって異なり、時とともに変わります。ご法義を伝え、広めるための宗門の組織も、社会の変化に応じて変わる必要があります。 ー中略―  一人ひとりが抱える課題を大切にし、お念仏を喜び心豊かに生きることのできる社会を目指しましょう。このたびの大遠忌法要が、新たな歩みを進める機縁となりますよう念願いたします。」と結ばれた。

 しばしばこの「はらから」でも書いてきた事だが、政治・経済・教育・医療・福祉すべての分野において日本はそして世界は大きな転換点に立たされていることは誰の目にも明らかなことである。そしてそれは今、日の出の勢いで経済的に世界を席捲せんとしている国にしても内に様々な問題を抱えているという点では同じであろう。

そして宗教もその埒外にはない。日本の宗教も大きな転換点に立たされているのである。宗教に対する不信を口にする人、逆にカルトと呼ばれる類のそれにのめりこんでゆく人。
 時代の混迷が深いということは、私たちは真によるべき拠り所を見失っているということに他なるまい。

 他の宗教のことはさておこう。悲観的な材料には事欠かないこの時代に、私たちの浄土真宗はこれからどうなっていくのだろうかと他人事のような口ぶりで傍観者でいてはなるまい。
時代がどうあろうと私たちは何を目指して生きるのかを語ろうではないか。御門主が御消息に述べられたように、一人ひとりが抱える課題を大切にし、お念仏を喜び心豊かに生きることのできる社会と人間関係の復興を目指ざそうではないか。

 思い起こせば、一九八〇年、門主継職にあたり、教書を発布されその中で
「念仏は、私たちがともに人間の苦悩を担い、困難な時代の諸問題に立ちむかおうとする時、いよいよその真実をあらわします。私はここに宗祖親鸞聖人の遺弟としての自覚のもとに、閉ざされた安泰に留まることなく、新しい時代に生きる念仏者として、力強く一歩をふみ出そうと決意するものであります」と高らかに内外に宣言された。今もこの教書のお言葉に震えるほどの感動を覚えるのは私一人ではあるまい。

 この法要を機にもう一度、お念仏を頂く身の原点に帰ろうではないか。私がそして時代がどう変わろうとも変わることなく私の苦悩をつつみ大悲してくださる働きを如来の真実と宗祖は仰がれた。

 その親鸞聖人七百五十回大遠忌法要を勤めるに当たり、宗祖聖人を慕う一念仏者として、時代の混迷を見据えつつ、おぼつかなくとも一歩一歩、ともに新たなる歩みを進めようと思う。
           住職

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