A家葬儀

葬儀開式前にご遺族揃っての写真を撮って差し上げる。ご門徒でまた住職の自分に時間の余裕があるときにはなるべくこうして撮って差し上げるようにしている。無論葬儀前にご法事などで外に出ている場合はそれはかなわないが。

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葬儀が始まる。ブログで書くことを躊躇ししたが、お読みくださる皆さんにも一緒に考えていただこうと思うゆえに敢えて書かせてもらうことにした。

式が始まってから、結局最後まで、(参列していた坊守によると、僧侶退出後葬儀司会者の最後のアナウンスのときまで)おしゃべりをやめないご婦人がいた。結局口を閉じたのは自分の焼香のときだけ。

まさか故人が104歳という、世間的には天寿を全うされた御年まで生きられたからもう哀しむ必要はないと考えているのか。そうだとしたら全く想像力、思いやりの欠如、感性のかけらもないといわざるを得ない。

お孫さん達もすでに立派な社会人としてそれぞれ家庭を持っておられるが、皆さんこのおばあちゃんが大好きだったと聞いている。人のご逝去の場には必ずその死を哀しんでおられる人がいる。そんなことにも思いが至らないとするならこんな方は葬儀に列席する意味がない。

おしゃべりしていい場・時間と、口を閉じエリを正してじっとその時を過ごすべきときのけじめが全くつかない、こんな大人になって欲しくないと若い人には切に願う。

明後日からの永代経法要の準備のお荘厳の中、午後の納骨法要を勤める。

納骨後例によってお揃いのところをパチリ。

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喪主様から、仕事の関係上福井にいられるのは月のうち1週間かそこらだが、勤めてお寺に足を運ぶように勤めたいという言葉をもらう。

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