寺便り『はらから』巻頭法話」カテゴリーアーカイブ

弔辞(はらから88号) 細野丈志

謹んで門徒を代表し、第十五世住職高務祐成様の前に 衷心より哀悼の意を表し、感謝の言葉を述べさせていただきます。

ご住職は、大正十五年六月十七日 第十四世住職高務祐正様の御子息として生を受けられました。長じて龍谷大学哲学科に進まれ、ご卒業後県立丸岡高校に奉職されました。

ご住職のご尊父、第十四世住職 祐正様は、晩年大変な悲運に見舞われました。その一つは、第二次世界大戦で、寺も新築したばかりの離れも 皆失ったことです。それにも増して悲運なことは、出征されたご長男の祐賢様を中国で亡くされたことです。

もう一つは戦後やっと再建なった仮本堂が福井大地震で倒壊したことです。そうして昭和二十九年 ご住職に後事を託されて六十八歳のご生涯を終えられました。

このような状況の中で、ご尊父様との約束である千福寺の再建と弟様、妹様たちの後見を課題に第十五世住職をお継ぎになられました。決意を新たにして勤務先も丸岡高校から福井商業高校の定時制にかわられ千福寺の再建に邁進されました。

まず最初に福井市体育館建築に伴う墓地移転に取り組まれ、お墓を足羽山に移されました。

次に昭和三十年に離れが完成、更に本堂の建設に取り掛かり、設計は五十嵐福井大学学長に依頼され昭和三十六年に完成しました。

続いて納骨堂及び石垣塀の完成、更に昭和五十二年に鉄筋コンクリートの庫裏、昭和五十八年に台所が完成し、現在の千福寺の陣容を整えられました。

この間ご自身のご結婚も含め、弟様、妹様、甥御様、姪御様を後見しお二人のお子様と共に立派に生育なされました。

こうした中でご住職と門徒の間には 深い信頼関係と固い絆が生まれていったように思われます。

昭和六十二年三月をもって清水養護学校校長を定年退職されると同じくして、同年六月七日「未だ早いのではないか」との声の中、現在のご住職哲量様にお譲りになられました。

ご自身もおっしゃっておられましたように、第十四世住職との約束をすべて果たされ という満足感の中で退くことの幸せを噛みしめられておられたことでしょう。

目的に向かって静かに、しかも着実に成し遂げてゆくということは、人をひきつける魅力と大きな度量なしには到底できるものではありません。

ご住職が愛し、心血を注いで再建された千福寺。この千福寺の門徒であることは私たちにとって大きな喜びであり、誇りであります。

私たちもやがて、ご住職が参られたお浄土に参ります。その間 ご住職が再建下さったこの千福寺を そしてお念仏のみ教えを十六世ご住職とともに門徒一同 大切に護り続けてまいります。

このことを心に刻み、数々のご恩に対する感謝の言葉とさせていただきます。

ご住職 またお会いいたしましょう。

平成二十二年 五月十七日

門徒代表 細野丈志

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かくれ念仏遺跡 参拝記(はらから87号)

去る三月十八日より二十日まで、千福寺門徒さんを中心に二泊三日の日程で薩摩かくれ念仏遺跡巡拝の旅行を実施しました。同じ目的の旅行を実施したのが、平成十二年であり、もうあれから十年の歳月が流れたわけです。南越前町の窪田哲夫・冨美子夫妻は前回に引き続きこの旅行に参加されました。

 

かくれ念仏とは、薩摩藩において、仏教諸派の中、浄土真宗のみが徹底的に禁止そして弾圧されたため、門徒衆は、表立ってお念仏を称えることも阿弥陀様を礼拝することも禁じられた圧制の中、様々な形をとってお念仏の信仰を守ったその事実をかくれ念仏と称するのです。

鹿児島県内各地そして、かつては島津領内だった現在の宮崎県小林市・都城市の大部分もお念仏禁制の土地でありました。禁制がしかれる以前からすでに伝わっていたお念仏の教えは、生きること自身が決して楽ではなかった一般民衆にとって、アヘンという言葉に象徴されるような、現実逃避の救いではなく、この厳しい現実を生き抜く正しき拠り所となっていただけに、弾圧に屈することはありませんでした。取り締まっても取り締まってもお念仏を止める人はなかったことがそれを物語っています。

 

お念仏をいただき、また伝えるために流された涙と血はおびただしいものでした。殉教にまつわる哀しい伝承にもそのことは明らかです。

かくれガマと呼ばれる洞窟で彼らはともに称えるお正信偈に、お称名に自らのいのちの証(あかし)を感じ取っていたに違いありません。

お念仏の同行が摘発され改宗を迫られた拷問の場所、棄教を拒む念仏者に対する処刑場も各地にあったといわれています。

最後にお参りした鹿児島別院にはその拷問に使われた〔抱かせ石〕(割り木の上に正座させ後ろ手に縛った上、ひざの上にこの石を抱かせた)が親鸞聖人像の足元に静かに置かれていました。

 

碑に本願寺勧学、梅原真隆和上の詠まれた歌が刻まれてありました。

なみだ石

なみだにくれて

黙(もだ)しけり

まことのいのち

ためさるるとき

 

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人生の重心 いのちの重心(はらから86号)

何かしっくりしない違和感を感じながら、さて反論しようにも自分なりの言葉で表現できない思いというものがある。かつての自分にとって、「自分の心に素直になる」「自分の心に誠実になる」という、いかにも現代人が飛びつきそうな言い回しがそれであった。

何を大切にしてこの人生を生きるのかという問いに対して、要するに自分のこころを大切にするという一つの生き方の姿勢を示す表現ではあろう。しかし果たして自分のこころに素直になることが、自分のこころに誠実になることが私の人生そのものを根底から支え、実りゆたかないのちたらしめることになるのであろうか。

素直になるべき対象、誠実たるべき対象のその「私のこころ」とはいかなるものであるかを問うことなく、耳に心地よい言葉に酔わされていないか。

これに対して親鸞聖人は「真実」という言葉を、この私の生と死を根源から支え、真にこころ豊かにこのいのちを充実せしめるはたらきそのものとして捉えられた。そしてそれは、私という人間のうちに真実はないと厳しく自己を見つめられたことへと展開してゆく。なぜなら、私の「こころ」は、どんなに立派なことを言おうが行おうが、どこまで行っても結局自己中心の思いを一歩も離れることのできないものであると気づかされたからである。

そのときどきの都合、状況いかんで私のこころは 正反対のことを平気で思う。そのころころ変わる自分のこころを見据えることなくして、自分のこころに素直になどという甘言に酔ってきたのがわれわれではなかったか。そしてそれは宗教(=変わらぬもの)を自分の人生の重心におくことを放棄して、自分のこころをそこに置き換えたということを意味する。

私たちのお念仏の先輩は人間のこころの頼りなさ危うさをしっかと見抜いていた。人間の心ほどたよりにならないものはないと。では何をたよりとすべきなのか。それはころころ変わる私のこころを大切にするのではなく(振り回されるのではなく)、変わることなくこの私を私以上に大切に思い続けていてくださる方を大切に仰ぐことにつきる。仏様を大切に思うこころはわたしのこころではない。私のこころの中に仏様を大切に思うこころなどありはしない。仏様を大切に思い、その願いに頭をたれるこころは、仏様から私に届けられた、これこそ仏心に他ならない。

人間のこころとは倦怠(けんたい)の別名ではなかったか。如来様の大悲のみが無倦のこころ。この如来様のこころこそ真に仰ぐべきものと頭を垂れてゆく人を仏教徒といいそのとき本尊という言葉の意味が明らかになる。 住職

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本当に知っておかねばならないこと(はらから85号)

コンピュータからインターネット接続で世界中の情報を瞬時に手に入れることができるようになってその利便性とそのあやうさ(危険性)の二面性の問題に我々は当面している。

先日もこんな話題が。WIKIというインターネット上の百科事典がある。この百科事典にある大学生がいわゆるガセネタ(捏造記事)を書き込んだ。この百科事典は、誰でもが書き込んで編集することができる。その捏造記事を書かれた張本人が死んだあと、それぞれの国を代表するような新聞が故人に関する記事をWIKIから引用し世界中に発信した。一学生のでたらめの情報が世界を駆け巡ったのである。

インターネットではこの類の話題には事欠かないであろう。大学生の卒業論文が、インターネットで探し出してきた同じテーマの先達の論文の丸コピーだったりあちこちからのコピーのつぎはぎだったりとはよく聞く話である。

かくいう自分もしばしばインターネット上の情報提供の恩恵に浴している一人ではある。

完全にその情報が正しいものであるという前提においてはインターネットは強力な知的ツールであろう。しかし人間の営みの進化を文明というなら、その文明とは常に諸刃(もろは)の剣であったことを記憶しておくことは大切である。戦争しかり、環境問題しかり。切れ味鋭いかみそりの刃は向く方向によってはその持ち主をも時には切り裂く凶器ともなる。敵を滅ぼすための武器はこちらをも滅ぼす危険性を常にはらんでいる。もたらされた恩恵の大きさはもたらされる被害の大きさと等しい場合がおうおうにしてあることを忘れてはなるまい。

人間のすべての営みに伴う、名状しがたい不安(本当に心の底から落ち着けない)の理由はここにあるのではないか。享受しているようで心から安心してそれを慶べないのだ。

私たちの阿弥陀様は「我に任せよ、必ず救う」と、おん自らの悟りとあなたを救わずにはおかぬという誓いを南無阿弥陀仏の救いの名にこめて私たちに告げてくださった。真実の安心を与えて救うという真実の親なればこその名告りは、マイナス面を詮索する必要もない、身も心もゆだねられる、私を目当ての呼び掛けであった。このみ言葉にこめられた南無阿弥陀仏の六字に込められた願いは、どんなに時代が変わろうとも訂正も修正も加える必要のない変わることのない阿弥陀様の慈悲の顕現である。そしてそれは無数の情報が束になってかかろうとも揺らぐことなく、生と死を貫いて私の命を支えとおして下さる唯一のそして私が本当に知っておかねばならない阿弥陀様からのメッセージである。(住職)

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生を拝む死を拝む(はらから84号)

「かけがえのないいのち」とは、誰しも口にする言葉です。かけがえがないとは文字通り、掛けかえようにも替りがないということに他なりません。
道具や、物はそれの果たしている役割からするならその代わりをするものは存在します。そして人の場合も役職や肩書きたとえば副大統領とか、副社長、あるいは副会長など、副という役職があるということ自体がその役職の代わりを務める人が存在するということをあらわしています。
しかしいのちそのものに関して言うならいのちの代わりはありません。私のいのちの代わりを果たしてくれる人はいないのです。これがいのちの特徴なのです。
その意味で、かけがえのないいのちとは皆さんの共感を得やすいことばであります。そしてかけがえのないいのちとして、自分のいのちはもちろんのこと、他の人のいのち、他の生き物のいのちの上にも同じように拝むような思いを注いでゆくことの大切さはいうまでもありません。
しかし、いのちを拝むような思いで生きることの大切さは受け入れられても、死についてはどうでしょう。
生きることがかけがえがないなら、死ぬこともかけがえがありません。私に代わって生きてくれる人がいないように、代わって死んでくれる人もないからです。
私たちは生きる方には共感しても死ぬということに関しては最初から拒否反応を示すようです。自分にとって都合のいいことは受け入れるが、都合の悪いことは拒否するという習性はまさに煩悩そのものなのでしょう。
生と死を平等に見通す仏様のさとりの智恵は、今の私には受け入れがたい不都合な事柄の中にも意味を見出しそれを引き受けられる力となって私の上に展開します。
阿弥陀様は臨終を「死ぬこと」と思うのではなく、「さとりの領域へ生まれてゆくことだと思え」と願っていてくださるのでした。それが「わたしの国に生まれるのだと思っておくれ、もし生まれしめることができなかったら私は仏とはならない」という阿弥陀様の本意の願となって(本願)私に届けられました。その願いを聞き受けることを信と呼ぶのです。
生きることはありがたい、そして死ぬこともむなしく滅びてゆくことではなかったというまさに生死を超える世界が信心の智恵を通して私の上に実現されるのです。      住職

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