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新しい資本主義

風邪でダウン二日目。幸いにして法務のない日だったので、お朝事のあと、部屋にこもって読書に専念。買い求めたまま読んでいなかった『新しい資本主義』(原丈人 はらじょうじん)キャリアがすごいが、何よりもその考えに共感するところ大いにあった。経済のことなどまったくの門外漢の自分にもアメリカの自由主義経済の孕んでいた問題をするどく抉り出して白日のもとにさらしている。

残念ながらボーとした頭では半分読み進むのが精一杯。午後はこれまた昔買い求めて一度しか見ないでよくその話の展開がわからなかった『イングリッシュペイシェント』のビデオを見る。撮られた映像は綺麗なのだろうがいかんせんビデオ再生機のヘッドクリーニングが甘く画像に大いに不満。

明日からまた報恩講廻りがまっている。じっとおとなしくしていれば早く回復するかと期待したがそれもかなわなかったよう。早めに床について明朝の目覚めに期待しよう。

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いっぺこっぺカナダ/荻ムツ子

2005年夏、鹿児島県出身カナダ在住の女性と知り合いになった。彼女の名前は荻ムツ子さん。といってもメールでのやり取り。いわゆるメルトモである。年齢は・・・・・私より少し上とだけ記しておこう。大志を抱いてカナダへ移住した、同じ鹿児島出身のご主人とそれこそ無一物から農場を経営するにいたるまでの、そして三人の子育ての二人三脚奮闘記が「いっぺこっぺカナダ」。〈いっぺこっぺ〉とは鹿児島弁で〈精一杯〉という意味である。
現在にいたるまでの苦労は想像して余りあるものであることはいうまでもないことだ。しかしこの手の本の陥りやすい苦労自慢話からも見事に逃れ、クスッと笑いを誘い、そして目頭を熱くさせるエピソードの数々。読むものをして知らず知らずのうちに元気にしてくれる本である。

読み進める中で私の心に残ったのが、現地の仏教会のメンバー(いわゆる門徒)になったこと、お経は日本語、お説教は英語と日本語、どちらもよくわからないままお寺の行事に参加してきたことがさらりと書いてある部分だった。早速カナダの荻さんにメールを出したら、すぐに返事がきた。その後何回ものメールのやり取りを通して、お念仏のともがらが(=はらから)が遥かに海を隔ててここにもいらっしゃることを知り心から嬉しく思った。彼女の愛唱歌が真宗宗歌と恩徳讃と月の砂漠。農作業に従事しながら《六字のみ名を称えつつ、世の生業(なりわい)にいそしまん》と真宗宗歌を広い農場でくちづさみつつ、時にわめきつつ(?)決して楽ではない農作業をこなしてこられた。帰宅すると、今日もいっぺこっぺでしたと手作りのお仏壇に手を合わせベッドに倒れこむ日々。その彼女を支えて来たのがお念仏のみ教えだった。
荻さんの許可を得て彼女からのメールの一部を紹介しよう。
「恩徳讃や真宗宗歌、メロディは勿論ですが歌詞の一言一句が素晴らしくって、、、
寂しくなったら恩徳讃のメロディを口ずさみ、先が見えなくてへたり込みそうになったら、《六字の御名を称えつつ、世の生業(なりわい)にいそしまん》と歌えば自分のやるべき事を出来る限りやりさえすれば後はご縁のままに、成るように成ると、不思議と心が落ち着き何とか今日までこさせて頂けました。ひょっとしたら、ここに来ていなかったらこういう有り難いご縁にめぐりあう事はなかったかもしれません。感謝の限りです。」
阿弥陀様は確実にここでもはたらいていて下さることを、彼女の生き様に再確認させていただいたことである。

「海の内外のへだてなく、
み親の徳の尊さを
我がはらかにつたえつつ、
浄土(みくに)の旅を
ともにせん」
《真宗宗歌三番》

けやき出版  1470円 e38184e381a3e381bae38193e381a3e381b4_01

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がんばれ仏教/上田紀行著

NHKブックス(NHK出版)

高校のある先輩から、こんな本が出たよと送っていただいたのが、表題の「がんばれ仏教」という本。タイトルが著わすとおり、仏教、ことに仏教伝統教団に対するエールである。著者は僧侶ではなく、東京工業大学で社会学を教える大学の先生。
しかしその内容は、単なる仏教教団に対する応援に終始するものではなく、結構厳しい批判が続く。
例えば、葬式仏教と批判されるようになって久しいが、批判されているうちはまだいい。葬式と法事しかやらない「葬式仏教」が「葬式」すら執行できなくなる要因が現代社会の中で確実に広がりつつあることに、仏教者がどこまで気づいているか。

現代社会においては、お寺の存在意義そのものが問われているのである。しかし現代の苦悩と向き合おうともせず、僧侶は旧態依然と今までの檀家制度にあぐらをかいている、とこんな趣旨で厳しく指摘する。

大都会のお寺ならまだしも、田舎のお寺は、日ごろから檀家さんとの交流はあるし、事情が異なると、主張したいところだが、そういいきれない面を抱えてるのは事実である。「はらから」六十九号(今年の三月号)でも記したことだが、福井でも永代経法要・報恩講・そして毎月の定例法座の参詣が激減し、法座の縮小、取りやめを余儀なくされている寺院は少なくない。

浄土真宗に限らず伝統仏教教団は江戸時代に確立した檀家制度に支えられてきた。その檀家制度の基盤が押し寄せる都市化の波の上で揺らいでいる。都市化とは都会のような町並みに変わるという意味ではなく、家族制度・地域の人間関係・寺檀関係が以前と全く異なる形態に変わるということを意味する。

家の核家族化は確実に家庭の中での親から子への伝承力を弱めた。例えば仏事に関する習慣一つとっても若い世代にとっては知らないことばかりになりつつある。そのうち報恩講や永代経法要の意味もこのままでは怪しくなってくるであろうことは想像に難くない。

寺院、僧侶に対して厳しい批判を投げかけながら、しかし同時に著者は、出あった数人の僧侶を例に挙げて、それらの僧侶がまさに現代の苦悩に向かいあい様々な活動をしていること、そしてそれらの住職の寺が檀家・地域の人にとってなくてはならない存在になっていることを紹介する。最後に著者は、この本をこう結ぶ。

「高度成長を続けていた長い間、私たちは寺などという存在を忘れてきた。心の問題とか、苦悩の問題などはどうでもいい、お寺は葬式さえやっていればいいのだと、経済的成長のみを目指して走りつづけてきたのは私たち自身ではなかったか。寺院が現在のようになってしまったのは、とりもなおさず私たちが寺に何も期待してこなかったからである。そしてその期待感のなさに比例するように、寺はまさに力を失っていった。日本の寺を良くするも悪くするも、それは私たちの意識にかかっている。」と。

また著者はユーモアたっぷりにこういう。「私はこんな日がくることを夢想する。子供達がなりたい職業《一位プロ野球選手・二位サッカー選手・三位住職》などという日がくることを。あんまり人気職業になっても困るかも知れないが・・・・。
私は僧侶と僧侶を目指す人たちに言いたい。《ボーズ・ビー・アンビシャス》と。(※有名な札幌農学校教頭クラーク博士の《青年よ、大志をいだけ》をもじったもの)そして私は日本文化の偉大な伝統に対していいたいのだ。がんばれ仏教!と。」

著作を読み終え、住職が毎月出講している富山の善巧寺の総代さんの言葉を思い出した。
「お寺は眠っていてはいけない。眠らせておく門徒もいけない。」
お寺は何故なければならないのか、仏教は聴くに価するのかしないのか、そして私たちの千福寺はどうあるべきなのか?安易に結論を出す前に、僧侶・寺族・門徒とまさに手を携えて問い続けてゆくことが今一番必要なことではないだろうか。果たして千福寺は?重い課題である。しかしまた引き受けがいのある課題でもある。

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