日別アーカイブ: 2010 年 4 月 1 日

かくれ念仏遺跡 参拝記(はらから87号)

去る三月十八日より二十日まで、千福寺門徒さんを中心に二泊三日の日程で薩摩かくれ念仏遺跡巡拝の旅行を実施しました。同じ目的の旅行を実施したのが、平成十二年であり、もうあれから十年の歳月が流れたわけです。南越前町の窪田哲夫・冨美子夫妻は前回に引き続きこの旅行に参加されました。

 

かくれ念仏とは、薩摩藩において、仏教諸派の中、浄土真宗のみが徹底的に禁止そして弾圧されたため、門徒衆は、表立ってお念仏を称えることも阿弥陀様を礼拝することも禁じられた圧制の中、様々な形をとってお念仏の信仰を守ったその事実をかくれ念仏と称するのです。

鹿児島県内各地そして、かつては島津領内だった現在の宮崎県小林市・都城市の大部分もお念仏禁制の土地でありました。禁制がしかれる以前からすでに伝わっていたお念仏の教えは、生きること自身が決して楽ではなかった一般民衆にとって、アヘンという言葉に象徴されるような、現実逃避の救いではなく、この厳しい現実を生き抜く正しき拠り所となっていただけに、弾圧に屈することはありませんでした。取り締まっても取り締まってもお念仏を止める人はなかったことがそれを物語っています。

 

お念仏をいただき、また伝えるために流された涙と血はおびただしいものでした。殉教にまつわる哀しい伝承にもそのことは明らかです。

かくれガマと呼ばれる洞窟で彼らはともに称えるお正信偈に、お称名に自らのいのちの証(あかし)を感じ取っていたに違いありません。

お念仏の同行が摘発され改宗を迫られた拷問の場所、棄教を拒む念仏者に対する処刑場も各地にあったといわれています。

最後にお参りした鹿児島別院にはその拷問に使われた〔抱かせ石〕(割り木の上に正座させ後ろ手に縛った上、ひざの上にこの石を抱かせた)が親鸞聖人像の足元に静かに置かれていました。

 

碑に本願寺勧学、梅原真隆和上の詠まれた歌が刻まれてありました。

なみだ石

なみだにくれて

黙(もだ)しけり

まことのいのち

ためさるるとき

 

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葬儀と通夜

午前10時より、T家葬儀。帰山して隣寺に伺う。葬儀式壇・会場設営に皆さんがあわただしく動いておられる中、葬儀に使う楽(がく)の曲の選定や音響などのチェック。結局CDプレーヤーを自宅から持ってきて接続することにした。相当の数の通夜の会葬者が予想されるので、境内に大きなテントを設営し椅子を並べるのだが、本堂内部の様子が見えるよう、急遽ビデオカメラとプロジェクター、それに大型スクリーンを設置することになる。

そうこうしているうちに、T家の納骨法要の時間となる。納骨を終え例によってお揃いのところを記念写真。

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皆さんをお見送りして、隣寺へ。

6時からの通夜の法話を依頼されている。自分がお引き受けするのは僭越かとも思ったが、ご辞退すべきではないと思う理由があった。

一つは、この三月に修行した、福井組の750回大遠忌法要の記念品の華葩である。法要実行委員長をおおせつかっていた自分は、画家でいらっしゃる照護寺前住職様にお願いして、5枚一組の華葩を作成したい旨、ご相談申し上げたところ前住職様は快諾してくださり、日を置かず華葩の原画を届けていただいた。おかげで立派な記念品を皆様にお配りすることができた。

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もう一つは、一昨日すなわち3月29日は私ども夫婦の30回目の結婚記念日である。ちょうど30年前、千福寺本堂で前住職様に司婚の労をお取りいただき、挙式した日である。しかも確か式前日にご母堂様がご往生されたばかりで、ご葬儀を控え本当に心身ともにお疲れでいらしたであろう中を、前から決まっていたことですからとそのまま勤めてくださった。

これらのこともあり、不遜を省みず法話の場に立たせていただいた。

親鸞聖人、最晩年の乗信坊へのお手紙を紹介。

「なによりも、こぞことし、老少男女おおくのひとびとのしにあいて候うらんことこそ、あわれにそうらえ。ただし、生死無常のことわり、くわしく如来のときおかせおわしましてそうろううえは、おどろきおぼしめすべからずそうろう。まず、善信が身には、臨終の善悪をばもうさず、信心決定のひとは、うたがいなければ、正定聚に住することにて候うなり。」

臨終の良し悪しで往生が決まるのではない、どんないのちの終わり方をするか分からないのが、いのちの厳しい現実であればこそ、痛ましい事故ではあったがわが身をもってそのことをお教えくださったと受け止めさせていただきたい。

またご門徒の皆様にはお二人が参られたお浄土はまた私たちが参らせていただくお浄土であること、お浄土があればこそまたお会いできることがこの悲しみの中にあるお互いにとってどれほどの支えとなって下さるか、そのような法話をさせていただいた。

受け止める 大地のありて 椿落つ 合掌

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