この4月、本願寺は大幅な宗門機構改革に着手した。この改革は拙速であったとの批判が今もなされているが、その典型がこの公聴会。本来公聴会なるものは、取り組む事業にその意見を反映させるために開かれるはずのもの。
改革が発布され、中央から「プロジェクト」なるものを下ろしてきた後から、つじつま合わせに開かれる公聴会なるものにどれほどの意味があるのか。
とはいえ、役職柄どうしても出ておかなくてはならない。
本山から総長以下説明役の職員や随行諸氏が本堂正面にずらりと並び改革の説明。
協議会の質疑の時間になり、案の定この改革・スローガンに対する批判が続出。共感するところ多である。
わが宗門はどちらへ舵取りしようとしているのか、危惧することがあまりに多い。結局多くの意見は「承りました」ということで意見聴取のアリバイに使われるためだけのもののような印象はぬぐえなかった。